平成8年(1996年)9月5日に“障者作害業所”「こだま」は堺市蔵前町の一角に、5人の身体障害を持つ人の集団から誕生しました。 なぜ作業所を作ったのか? 障害を持つ子供達のために"作業所”を立ち上げた。また、ある人は、社会の役に立ちたい。 など様々な理由でこのような施設を作るでしょう。 さて、この「こだま」の設立を振り返りみれば、それはもしかすると "人生の円熟期に、僅かな退職金をすべて使い果たし「誰か」への賜物を”という 私自身の想いだったのかもしれないという気がします。 |
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自ら生きてきた70数年を振り返ってみると、約3歳にして両下肢麻痺の障害を持ち(ポリオ)ながら
大きな戦火の中を生き抜き、そして50数年前。 当時の「大阪府立身体障害者更生指導所・付属病院」に入院し、様々な方々に支えられ「自分の"足"」で立ち上がれた時、感謝がこみ上げるとともに想ったのです。 『より重度な障害を持ち、社会生活に同化出来ずにいる人たち』のことを。 その想いがやがて。何か私に出来る事でお手伝いしたい、と切に願う気持ちに変わり、それが具体的な形となり、同じ想いの6名が結成し、創設したのが当初の同窓会こだま」です。 「こだま」を漢字で書けば木霊でもあります。 木はお互いに支えあい、小さな種を残していきますし、或は途中で枯れていく木もあることでしょう。 けれど、枯れた木もまた育つ木の肥やしになってくれているのだろうと思います。 とどのつまり”誰かは、必ず誰かの役に立ち、また誰かは、誰かに助けられている”という輪廻のなかで、私たちは生きていると感ずるのです。 個々人の考えもあることでしょうが、わたしは想うのです。 もちろん障害を持つ方もこの輪の中に居ると。 しかしながら、障害をもった方が、この輪に必要とされている事に、気づく人が少ないのも事実です。 また“障害”を抱え、自らを苦しい立場に追い込んでいく人たちも、後を絶たないことだと思います。 ひとりの人間が生涯でできる範囲は極めて小さなことではありますが、より多くの人たちとの交流を深め、より多くの人たちの経験から学び、より多くの人たちに、経験や学びを分かち合える「障がい者作業所」を作り育てたい。 また,重度な障害を持つ人やその、ご両親に一時の安らぎの場所でもありたいと願い 当初「こだま」を立ち上げた志を失う事無く、 これからも活動して行きたいと存じます。 ▲ 戻 る ▲ |